✦ 私という性のかたち ー 中性的な男子として育った私が、女性性を隠してきた理由
- ewf416
- Jul 2
- 3 min read
男らしくあれ」「そんなのは女みたいだ」
そう言われた記憶が、いまだに胸に刺さったまま残っています。
◆ 生まれたとき、私には「男性」というラベルが貼られた。
周囲から見た私は、“男の子”でした。そしてその見た目に沿うように、私は「中性的な男子」として育ちました。
けれど、心の奥ではずっと、**自分の中にある「女性的な感性」**を感じていました。
柔らかい感受性。優しさや繊細さを大切にしたいという気持ち。誰かの痛みに対して、すぐに心が動いてしまう感覚。
でも、それを表に出すことは、危険なことのように思えました。「弱い」「気持ち悪い」「男らしくない」そんな言葉が飛んでくることを、無意識に予期していたのだと思います。
◆ 自分を「中性的に演じる」ことで、身を守ってきた
私は、自分の女性性を**“感じられないように”する訓練**を、自然と身につけていきました。
女の子っぽい話題は避ける
声のトーンを低く保つ
感情をあまり表に出さない
繊細な部分を見せない
本当は、誰よりも感情的で、誰よりも繊細で、誰よりも、ふとしたことで涙が出そうになる人間だったのに。
私は「中性的な男子」という仮面をかぶって、自分の中の“やわらかいもの”を、まるで異物のように隠してきました。
◆ それでも、女性性は、ずっとそこにあった
あるとき、気づいてしまったんです。どれだけ隠しても、抑えても、私の中にある“女性的なもの”は消えていなかった。
たとえば、AIに文章を打ち込んでいるとき。たとえば、自分の心に正直になろうとするとき。たとえば、誰かの言葉に深く共感している自分を見つけたとき。
そのたびに、「ああ、私はずっとこれを閉じ込めていたんだな」と感じました。
◆ 男とか女とか、それだけでは語れない「私」
私は、いまも「男性」として生きています。社会的なラベルでいえば、そうなるでしょう。
でも、私はもう、自分の女性性を否定しないことにしました。それはジェンダーを変えるという意味ではありません。もっと静かで、内面的な、“肯定”の宣言です。
私は、男とか女とか、その二項対立のあいだで、「自分だけのかたち」で呼吸していたい。他人の目線に合わせた“性別”ではなく、私だけの“風景”としての性を、大切にして生きていきたいのです。
◆ noteでも、静かに問いを重ねています
このWixサイトとは別に、私はnoteでも「見えないものを言葉にする」ための文章を定期的に投稿しています。
性別、感性、AI、情報、思想、孤独。曖昧で、簡単には語れないけれど、誰かにとって静かに刺さるような“問い”を中心に書いています。
もし今回の文章に、ほんの少しでも共鳴してくれたなら——noteの記事もぜひ、一度のぞいてみてください。そこには、もう少し深いところで語られた、私の「内なる風景」があります。
コメント